山里・京北を訪ねる。

12日、日曜日の朝市出店後、若干の体調不良を押して長男くんとおとこ二人旅、と言ってもすぐご近所と言えばご近所の京北へ足を伸ばしてまいりました。

京北には新規参入された農家さんが点々とおられまして、間接的に名前だけ知ってるー、だとか、一度お会いしたけど畑は見たことない!だとか、そんな具合でして、でもここのところ(ぼくの)山志向がやたらと高まっている今、ひとまず行っちゃえ、と。

今回頼ったのは【耕し歌ふぁーむ】の松平さん。

ここ最近の日本農業で言いますと例えばTPPなど時事問題にとても精通しておられ、深い知識と洞察力でわたしたちのような小農家がこれから先の日本でどうして農に関わって生きていくのか、ただ種をまき育て野菜を売る、だけでない研究者としての視点から農に携わっておられるような、それでいて奥様とともに里山の暮らしを楽しんでおられるのだろうなぁという、そんな印象を受けました。

【耕し歌ふぁーむ】さんのwebは、自身の活動や農産物の紹介などの他に、右京区京北の歴史・風土・地理、桂川の流域に広がる農地の現況・問題など読み応えたっぷりです、ぜひご一読ください(^^)

見聞きした上で思うところ、鹿・シシの害とどまるところを知らぬということが容易に見て取れる獣害柵の数・数・数…獣とどうお付き合いしていくのか、ここが問題かと。これは大原の比ではおそらくないです。集落が桂川流域沿いに点在していて、これでは獣たちの防波堤にならないのでしょうね。とにもかくにも山で暮らすとは、当たり前と言えば当たり前ですが簡単なものではないなぁというのが何よりの印象でした。都への材木供給地としてもともと林業で栄えたのが京都近郊の山里の歴史、杉の価格が暴落してからその暮らし方の転換を余儀なくされて大変だったんだろうなぁ。

杉を見るたび、子孫のことをとにかく考えて何本何本も苗木を植えてこられたご先祖様たち、その熱心な行為が子孫の繁栄に結びつかない現代社会に、長期的なスパンで物事を見据えてアクションを起こすことの難解さをいつも思います。

大原は大原でもちろん山の恵みを受けて暮らしを紡いでこられた里ではあるのですが、山深さで言うと京北のあたりのほうが深い場所にあります。恵みも、反面その怖さも、より密な距離で山との関わりが昔から在ったのでしょう。

さて、京北の旅ですが、他にもちょこちょこ畑を見せてもらいながら、訪問当日開催されていた京北最大のお祭り【山国さきがけフェスタ】を訪れました。

 

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鼓笛が里の田畑に鳴り響いて勇壮でしたね。大政奉還後の鳥羽伏見の戦いで、京北のこのあたりから山国勤皇志士隊として出向いた当時の人たちを偲び讃えるお祭りのようです。

志士隊の行列に続いて神輿がゆらゆらと、かっこよかったですよ(^^)

この行列に加えて地元の方々が農産物や加工品、食のいろいろを並べて出店、山国護国神社の参道と言いますか農道にテントが並んでゆっくりほっこりさせていただきました。

実はこのお祭りの後、予定では京北でもうひとつお祭りを観覧し、それから亀岡で毎月開催のとうかげん平井くんちの交流会が久しぶりの日曜開催とのことで参加させてもらう予定でしたが、自宅待機中の妻がまさかの発熱…もうほんっとに残念ながら…帰らざるを得なくなったという…(T_T)

そんなわけで松平さんのお話も中途半端にしか聞かせていただくこと叶わず、実を言うとかなり消化不良のまま今回の農家さん弾丸訪問ツアーを終えることになったのであります。

 

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焼き芋ほおばって食い気は満足したものの、この後帰るよと父から告げられ、行きたかった温泉のことを思って泣きじゃくり暴れまわった長男坊主。泣き過ぎて疲れて車の中で爆睡しながら帰路につくという。

この埋め合わせは必ずどこかでするぜ!と口約束。そんな朝市後、少し肌寒い10月ある日の午後でした。またね!



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