志半ばに急逝された農家さんを偲ぶ。

友人の農家さんの、そのまた友人の農家さんがお亡くなりになられたとブログなどで知る。

新規参入された有機農家さんで、ある地域のリーダー的存在だったそうだ。

ぼくはその方のことを直接知らない。だけど今朝その情報を仕入れてから、その方を偲び、いろいろと思いを抱いている。

 

人はいずれ死ぬ。見ず知らずの人の死に逐一心を痛めていたら、身体や心が悲鳴をあげて何も動けなくなってしまう。それでいい、とは思わないけど、情報を意図的にか無意識にか遮断することで、想像力を放棄し思考を麻痺させることで、現実的に日常生活を送り続けることができるのだろう。

その方のことを直接は知らないけれども、同じように農業を志し、新規で参入してこられたであろうその立場、地域の農業事情をリードし、これからさらに進んでいこうとされる、そんな状況だったことを思うと、その方の死に寄り添わざるを得ない。

この世に残していく大切な人がいたのだろうか。その方の意思を継ぐ人はいるのだろうか。何を思い、農業の世界に飛び込まれたのか。何を糧に、そして何を残すために、農業を続けてこられたのか。

何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられない人がたくさんいる中で、その方はポンと答えることができたはずだ。

いつ死んでもいいなんて言えるような、そんな充実した、やり切った人生だっただろうか?幸せだったには違いない、だけど、やりたいこと、やり残したことが山ほどあったはずだ。あるいは、浮世離れして、欲も何もない、輪廻転生を信じるような聖人君子みたいな人だったのだろうか。泥臭く、人間味溢れて、喜び怒って、哀しみに浸って楽しく笑って、そんな温度のある、優しい顔の農家さんだったに違いない。

無念だったろう。

 

出会ったことのない農家さん、ご冥福をお祈りいたします。どうか心安らかに。

 

こうして今、生きて畑と向きあっている日々に感謝して、その方が思い描いていたであろう何かしらは知らないけど、やりたかったことを想像して、それを勝手に背負ってまた畑と向き合っていこう。

 

2015120101

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