鹿の食害で思うこと。

山に食べるモノがなくなってきた冬、毎年のように鹿の被害が増えてきます。いつもと様子が違うな、と何となく畑に入った瞬間に違和感を覚えると野菜をやられてたりします。

 

たいていは一月頃から被害が本格化するのだけど、今年は早い気がする。ここ数日はこかぶの畑が浸食されていて、昨日は想像以上に荒らされていたので予定していた作業を急遽変更して、獣害対策に防獣柵を強化することに。

もうあれですよ、徒然草。

わびさび感じる素敵な庭やったのに柿の木のまわりに塀がしてあってせこいぞ的なあれ。とにかく高い防獣柵を作りながら、まるで動物園にいるホモサピエンスそのものやな…と、思う。

 

鹿に荒らされたこかぶを片づけている時の気持ちといったら…

やられたこかぶを回収しながら、シカコロスシカコロスシカコロス…憎しみがもんもんと身体中に沁みわたってきて、とてもじゃないけど、彼らも一所懸命に生きようとしているのだから仕方ないよね生きとし生けるもの全てに愛を注がなきゃねっ!って…そんな悠長に思えるかーボケ鹿こらー、こっちも必死で育てとんねん、このこかぶをちゃんとお金に換えんとしんどいねん、お前も生きてるか知らんけどこっちも生きとんねんどちくしょーが、修行してかめはめ波打てるようにならへんかな、見つけたら遠距離からぶっ放してやるぞ、このボケー!

と、なんと器量の狭いことか。爆笑。

農家になって心穏やかに過ごすぜーって思いはいったいどこへやら。

この葛藤にとらわれると、商売として農に携わることと生きるために農を基盤に据えることとの大きな隔たりにいつも思い悩む。

この悩みの大元にあるのは、なんだかんだとお金だ。

 

お金がなくとも豊かに暮らせるように、価値観をポンと転換してしまう。身の回りにあることのひとつひとつを慈しみ、貨幣経済から脱却して暮らす。

もしくは、経済的に余裕のある状況下で、お金に困らない余裕がある生活の中で、やっぱり一番の幸せは丁寧に生きることだよね!って農や食や世界平和や地球環境のことを思うか、だ。

葛藤を乗り越えるには、どちらかになるしかないのだ、つまるところ。

ところが、なかなかそうもいかないのが己の弱いところである。

 

一本筋の通った信念があれば、やることなすことに悩む必要はないのだろう。

とは言え、最近はもう、この悩みは自分にとっては命題やな…となかば諦めていて、むしろこの悩みを忘れて商売としての農と暮らしとしての農のどちらか一方に傾いてしまったら、ぼくにとっては農業する理由がなくなるとすら思ってもいる。

世の中の、山村に暮らしながら、獣と向き合って生きてる農家さん達はどのような心境でいるのだろう。

そういう意味では鹿に感謝する。

40も近くになって、いまだに生きることに真剣に向き合い悩めるのは、まぁ素敵なことやろ。