大原のこと

わたしたちが農業を営む大原について紹介します。

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京都府京都市左京区の北東部、小さな盆地に所在する里山です。天台宗総本山の比叡山西麓に位置し、下れば賀茂川と合流して京の都のシンボルとしても有名な鴨川となる、高野川が里を縦断・南進しています。若狭(福井県)から京の都へと海産物を運搬する若狭街道(鯖街道)の中継地点としてなくてはならない場所でした。

里は南北に延びており、周囲にはわりと近距離に山々が望めます。よく杉が植林されており、広葉樹はあまり見当たりません。のどかな田園風景が里の中心部には広がり、その周囲から山際にかけて集落があります。

 

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比叡山延暦寺が近いことからその影響大きく、三千院・寂光院を始めたとして天台宗系寺院が数多く建立され、現在も観光の中心名所として名高くあります。

古くは、山里であることから薪や炭の生産地でした。その燃料を運搬し行商するのが紺色の筒袖で動きやすさを重視した装束の大原女(おはらめ)たち。現在も、大原女まつり、大原女行列、が春秋に行われるなど里の衣のシンボルとしてよく知られています。大原女の装束の原型は、隠遁生活を大原の地で送った健礼門院に仕えていた阿波内侍のそれだといわれています。

その健礼門院は、大原の特産品として有名なしば漬けの名付け親とも言われています。大原で種取りされ続けたしば漬けの原料である赤じそは、盆地であるがゆえ他地域との空間的断絶を大きな理由として、交配することが限りなく少ない原種に近い遺伝的特性を保持したまま現代にまで残されております。

 

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耕地面積としては80町分ほど。高野川を挟んだ整備圃場の他、昔ながらの変形田の棚田が山裾に広がっています。しば漬けの原料である赤ジソの栽培が昔から盛んでしたが中山間地の例にもれず、農村の高齢化に伴い遊休農地が増えつつありました。その状況を憂えた里の有志が鯖街道沿いに朝市を開始。京都市内から車で20分程度という好立地、有名な料理人がとりあげてくれたことなどから朝市は瞬く間に有名になりました。そこを起点に圃場整備事業や里の野菜を常時購入できる里の駅の開設、私たちのような新規就農者の受入をはじめとした農業振興事業が複合的に進み、現在に至っております。

圃場の基盤整備事業の結果か、近隣の専業農家が大原の好立地の圃場を使うなど、遊休農地の問題は少なくなっているようです。また里の駅大原の開設は、大原野菜ブランドの定着に多大な貢献をしているように見えます。(わたしたち新規就農者にはなくてはならない施設です)

里山の景観保全を中心に担ってきた年代層の引退が間近に控え、山林の管理や獣害への対策など中山間地の抱える問題は見え隠れしているものの、都市近郊の農村として出来ることはたくさんあるでしょう。

京都市内よりも年間平均温度が2度程低く、そのため多少の作付け時期ずらしが可能です。4月頃までなごり雪が降ることがあります。遅霜は5月初旬まで、そのため夏野菜の露地での定植は被覆資材を使用しない限り市内よりも遅れます。逆に秋冬は寒くなるのが早く、野菜の甘みはかなり早くから蓄えられます。年内は降雪はあってもしれたものですが、1-2月は年により積雪量が増減(2010年の1月は畑の雪がほとんど融けないまま積雪を繰り返し2月を迎えた)するものの、路面の凍結は日常茶飯事で市内では必要のないスタッドレスタイヤの冬場常時着用、また四駆車の活用が望ましい地域です。そのため冬場の露地野菜は根菜類がどうしても多くなります。

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