\\なぜ有機農業なのか?//
音吹畑は、農薬、化成肥料を使用しません。有機JASに準拠した栽培方法を採用しています。
※2024年現在、有機JAS認証は受けておりません。あくまで栽培の方法として採用しているにとどまります。(したがって有機農産物を名乗れません)
有機JASには天然由来の農薬やフェロモン誘引材といった適合農薬があります。音吹畑はそうした適合農薬についても一切使用していません。
ただし、慣行農業(農薬や化成肥料を使用するいわゆる一般的な農業)を否定していません。
有機農業は慣行農業に比較して、環境に負荷を与えないのでしょうか。就農当初はそう信じて止まなかったものの、石油由来のビニールマルチを多用し、病虫害で激しくダメージを喰らったら出荷すらできずに畑にすきこむこともある。
農薬や除草剤を適切に使用して育てた農産物を確実にお届けするほうがよっぽど健全で環境負荷も少ないのではないか。そう思うことが多々あります。
そもそも農業そのものが“不自然な営み”です。どんな農法であろうとも、この営みそのものが環境破壊の一因です(それは自然農も同じ)。農業は、食糧を安定して供給するという役割がまずありきの産業です。同じ農の現場にいる人間として、プロとして栽培技術を磨きあげ、現代日本の食卓を支える慣行農家さんには敬意の念も持っています。
では、そもそもなぜ、音吹は有機農業をするのか。ここ数年、その思いの根幹が揺らいでいるのは事実です。
農薬・化成肥料を使用しないで野菜が育つなら、それにこしたことはない。これは、有機農業を続けるひとつの理由です。
農薬・化成肥料を使用しないで野菜を育てるには、肥えた土をまずつくる必要があります。その生きた土にはミミズや微生物が住まい、彼らが適度に働くための餌として肥料を与えます。それは、「野菜をつくる」のではなく、「野菜をつくる環境をつくる」という視点にいきつきます。(余談ですが、そうした考えから、野菜をつくる、と表現しません、つくり育てるのは土です)
そうしてできた健全な環境において、野菜がすくすくと育つ姿を見るのは楽しいものです。
さらに広げると、その環境を守り、育て、さらに次世代以降につなぐという思いがあります。一朝一夕で土づくりはできません。長い年月をかけて育てられた土壌の、ただこのわずかな時間に関わるに過ぎない。先人から受け継がれたそのバトンを少しでも良い形でつなげようという思いです。私たちには有機農業のそうした思いがしっくりと腑に落ちました。
農業を始めるにあたって、様々な先達の意見を聞き、現場を体験しましたが、初心は変わっておりません。頑なだった当初に比べて、受け入れられる考えも増えてはきましたが、有機農業以外の農スタイルでしっくりくるものには現在のところ巡り合っておりません。
\\その魅力とは//
農薬を使用しないでいると、畑に多様な生き物があふれてきます。そんな畑にいると、言葉にできない楽しさがこみ上げてきます。音吹畑にとっての畑は、ただ商品作物を産出する場所にとどまりません。生き物、これは草木も含めそうですが、多様な生き物にあふれた畑の魅力、畑にいるからこそ気づける発見の数々、一度体感するとなかなかにやめられないのです。
例えば除草剤を使用せずに、草刈り機を使用する場合。
あるタイミングで草刈りをすると、その次にまた草は当然のことながら生えてきます。ですが、そのタイミングによって、次に生えてくる草の種類が違うことがあります。そしてその生えてくる草の種類によって、寄ってくる虫の種類も違ってきます。些細なことですし、およそ野菜を売るにとどまる職業であればどうだっていいことです。
何なら、経済合理性の上では全く必要のない視点かもしれません。
ですが、そのどうだっていいことを重ねるうちに、見えてくるものもあるのです。見えてくるものを科学的に説明することはできません。居心地のよい畑にいる、その居心地のよさを上手に説明できませんが、ひとつには雑多で正解がなく、菌も虫も病気も野菜も雑草も何もかもが生きている感じが好きなのかもしれません。
多様な生き物にあふれた畑は、農薬や化成肥料を使用しない有機農業(ないしは自然農)の畑でこその光景です。野菜をつくるのではなく、土をつくる農業であるがゆえに見られる光景だと言えます。一言でおさめると、ここに尽きると思います。
使命感をもってこの栽培方法を選んでいる、というよりも、ただ楽しいから選んでいます。
\\優位性//
有機農産物の市場における優位性という視点ももちろん持っています。特に就農当初は意識していました。
わたしたちは農に関心を持ってから、どのような形で農と関わっていけるのかについてとても深くまで悩みました。まず農業では食べていけないのではないかと考えました。世間のイメージがそうでしたし、一般的な日本人として生活してきたわたしたちにはそのイメージからの脱却が難しくありました。
様々な農家さんを見学する中で、お金はネックのひとつとなっていきました。事業として農業を営む方法、お金がまずありきの考えを取り除きコストを抑えて生きていく方法。わたしたちは多くの関わり方の中から、事業として有機農業を営む方法をチョイスしました。
それはなぜか。
わたしには、わたしのような人間に考えをバチンと変えさせるほどのインパクトを与える有機野菜を届けたい、しかもできるだけたくさんの人に届けたい、という思いが、農を志した草創期から芽生えておりました。そのためには自給自足や自然農では信念とずれていたのです。もちろん、そうした生き方に進むにはまだまだ怖さがあったというのもひとつです。
そして事業としての有機農業を選びました。
事業を継続させるには、わたしたちが営む農業の優位性を一歩下がって見ることはとても大切なことでした。新規就農の私たちが慣行農法で野菜を育て売っていたら、おそらく今よりもっと苦労していたはずです。レベルの低い野菜を並べていても、農薬や化成肥料を使用していないというだけでひとつのブランドが成立します。良かれ悪かれ、有機農業・有機野菜のイメージは確立されたものがあります。(そこには信仰的な印象もあるので賛否両論です)
そこに甘えているばかりでは何も進まないと考えていますが、ずいぶん助けられましたし、今もまだ音吹は助けられています。
現在も、これからもずっと、その甘えから脱却すべく日々技術を磨き勉強し続けて、すばらしい農産物を育てていきたいと思っています。