頭でっかちになるのは簡単だけど…。

三寒四温とは冬の季語であるのですが、現在ではようよう暖かくなりゆく春先、つまりは主に三月~四月にかけてのまさに今の時期によく使われるようになっているそうな。もともとは中国や朝鮮半島では冬場にそうした三寒四温の現象が起こり、その言葉がそのまま日本に入ってきたけれども、日本でその現象が起きるのは春先であると。季節を伴う言葉が伝播するに、地域をまたぐとその意味もまた少しずつ変わって伝えられゆく、歴史や文化とはえてしてそういうものなのでしょうね。

京大名誉教授の上田正昭先生がお亡くなりになりました。東アジアを包括した古代史研究で数多くの著書を残してこられたその筋の第一人者。ご冥福をお祈りいたします。

ぼくは大学生の頃、考古学による古代史を研究していました。古代東北北部地方に住んでいた、まつろわぬ人々、蝦夷について。蝦夷は文字を残さぬ人々で、アイヌ民族の祖先ではないかとされます。蝦夷を通じて古代日本の統治体制や文化伝播について調べていたのですけれども、学士の頃にできる研究なんて屁みたいなものです。

上田先生のような巨大な視点で歴史にのぞむのはきっと楽しいだろうなぁと思うのですが、そこに至るまでには事細かな研究を膨大に蓄積させて、学問横断的に、複合的に、時代を前後して、様々な角度・深度からアプローチして、ようやくそうした視点を得ることが可能になるのでしょう。

事細かな研究の蓄積。

歴史に限らず、物事を追求するに、例えばデータ、例えば経験、例えば知識を蓄積していくことではじめて幅広い視点で見えてくる景色があるのでしょうね。農業もそこは同じなのだと思います。

過去の、先人たちがしてきたことを、そっくりそのままとは言わないまでも、真似してなぞって、繰り返して蓄積してはじめて同じ境地に達することができるというか。頭でっかちになるのは簡単です。科学的な知見や土壌・微生物への研究の進歩は、先人たちの時代にはなかったものですし、先人たちが蓄積してきた経験はある程度のマニュアルとして私たちは手にすることができます。だけど結局のところ、土いじり続けた先人の言葉にこもっている重さのようなものは出せない。

知識を実践の場に落とし込むには、身体をなじませるところから、先人の業績をまずは身につけるところから、そういうことなのでしょう。気の長い話だけど。

実は先週の土曜日から風邪で倒れて寝込んでいます。お客様やスタッフや奥様には迷惑かけしきり。だけど…一人くらいいなくたって、回るもんだなぁ、オレがいないと何も回らないと思いこんでグイグイ気張っていたけど、そうでもないや(^_^;)少し休養して、元気になってきたらまた畑で走り回ることにします。

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3月19日(土)までの一週間を今シーズン最終配達とさせていただいております。次週以降は、基本的に大原の里の駅大原や朝市にのみ出荷することとなります。今しばらくは名残の冬野菜に加えて、わずかながらの走りの春野菜を大原でのみ販売しております。

三寒四温を、里の外気に触れて実感しがてら、ぜひぜひお越しくださいませね(^^)ありがとう、またね。

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