山間の里で農に携わっているからこそ、より強く意識するようになった外したくない視点。
カテゴリーを分けて一日二投稿。
一投稿目は、大原散策のお話→【霧雨の大原を散策して、稲ワラで遊ぶ息子たちを眺めながら畦道でビール呑む休日もよし】。二投稿目は、野菜のお話。
11月も半ばになって、大原の野菜はますます美味しくなってきています。大原の農の底力は、大原が山間の里であることに因ると個人的には思っています。
これはどういうことでしょう?
平地の農業がしやすい場所であればあるほど、基盤整備が早くから進み、行政の指導が徹底的に入って画一的で似たり寄ったりだけど生産性の高い農が推奨され実践されるものです。
対して大原は、野菜を育てるとは言え基本的には自給が目的だった山間の農地。昔ながらのフカフカの耕土(その土には微生物や菌類がたくさん住まい、人間が手を加えなくとも美味しく野菜を育ててくれることでしょう)を現代に残し、里のおじいちゃんおばあちゃんが商業ベースにのっからない手間ヒマ丹精込めた農法でもって野菜を育ててきています。そんな時代がつい最近まで続いてきています。
簡潔に述べると何よりこれ。他にもいくつか理由はもちろんあるけれども、そんなわけで土が肥えているという点はとても大きいと思っています。
土はダメになるのは早いです。単一作物の連作や化成肥料の多量投与により蓄積された疲れは土をどんどん痩せ衰えさせます。実際、ぼくがお借りしている土地でも、連作害が出たから地主さんに返却された土地と、そうでない昔から大切に育てられてきた土地では、たとえば作物の味・質、土の中の虫やミミズの量、生えてくる草の種類、これはもうパッと見て触ってすぐ気付くほどの差異があります。
だからこそ、土を肥やすために皆何かしらの手を打つのですが、ダメにするのは早いけど育てるのはとてつもなく難しいもの。百年二百年と時をかけて、毎年毎年耕土が増していく。その歴史を大切に保ってきた山間の里ならではのポイントなのでしょう。ぼくたちはそれにのっけてもらって、野菜を育てています。感謝しなければなりませんねぇ(^^)
朝晩寒くなってきて、ネギにもトロミが出てきました。
このトロが出てくる頃、どの野菜も甘味が一段階増すのではないかな。営利換金作物と、そうでない自給作物を、少しずつですが同時並行して育てられる余裕が出てきたように思います。
じゃがいも、タマネギなどはほんとに広い面積でもってして採算をとる野菜ですが、ご家庭ではバシバシ使う無敵野菜でしょう?ところが、音吹は、なかなかそういった自給必須作物に手が出せませんでした。
…だって生活するのに必死だったもん(^_^;)
自給がしたい!田舎暮らしが最高!という思いを持ちつつですがそれよりも農業がしたい!農業で生計を立てたい!とする園主にとって、就農当初はじゃがタマ育てる余裕はなかったんす。
だけど、こどもが生まれると、できるだけ自給したいと。食わせたいと。そう思いが変わってくるもので、毎年少しずつ野菜の品目を増やしているというところです。
ネギもそう。
ネギなんて超必需野菜ですもんね。これから先も、自給作物は増やしていくと思います。来年の目標は、白菜と里芋。
とは言え、こういうものも育ててるんですけどー(^_^;)
ビーツキオッジャ。しましまビーツとか、うずまきビーツとか、いろいろ呼び方があります。
まぁしかしこの断面はいつ見ても…ぶっ飛んでます!スライスして生でサラダに、揚げたり炒めたり、使い方はいろいろ。面白い奴です。どこかで手に入れて楽しんでみてくださいね!
こちらは個人的にお気に入りのチンゲンサイ。
これまた、小松菜や白菜なんかでもそうですが、根というか芯の近くの切断面の絶妙なフォーム!
バラかよ!
いっつも感動します。キレイです。
ビーツにしろ、チンゲンサイにしろ、野菜が造り出す美は見事なものがありますよねぇ。
食物としてだけではない視点で野菜をとらえるのも面白いものなのですよ。野菜が育つ様を見ていると、いつもそう思うのですが、野菜は食物であると同時に、生き物、なのですねぇ。
農業産地ではない山間の里、大原で農に携わっているからこそ、より強く意識するようになった、ぼくにとっては外したくない視点なんです(^^)
またね!